価値観の表現の一つとして、シンプルという言葉を使うことがある。
シンプルデザインなどと言われるのはその例であるが、〔simple is best〕などと言うように、おおむね誰からも理解され、同意を得られやすい現代の価値観の指標でもある。
住宅設計のプロセスにおいても、住まい手との打ち合わせの中で、一度や二度は、「シンプルな方で選びましょう。」などと言いながら了解点を見出していることがある。
本当のところ、我々の見た目の姿や生活行為・ライフスタイルは氷山の一角であり、氷山の水面下の部分にあたる多大な心理的な堆積物、夢、願望、しみついた習性などはシンプルとは限らない。
何かがあるような気がするが、意識することも出来ない。
住宅設計は、その水面下の部分をシンプルという選択・概念イメージで少しでも水面上に形として浮上させ認識できるように頑張っている行為でもある。
決定の一瞬において、「シンプル」と言う概念は、答えを求めていた悩みの時から解き放たれた爽快な気分、意思決定による確かさ、安心感を与えてくれるが、同時に、水面下に残されているものの重さを感じさせる。
そんな時、水面下の声なき声、無意識化の心を最大限に生かすため「シンプル」にフレキシブルさを加えよう、持たせようと努力する。
住宅設計カウンセリングにおいては、まず、住まい手の生活をいろいろなアプローチからシンプルに切り取ってみる。シンプルに切り取った時、どこか悲鳴を上げる水面下の世界、部分があれば、それは、「いや」「嫌い」などの拒絶反応を起こす。
処方箋として、時間軸を取り込んだ空間の多重使い、光と影、自然の移ろいを同時に意識させることで「シンプル」にフレキシブルさを加えることが必要になる。
つまり多面的な受け止めの可能な表現、新しい機能性を見つけ出すことが必要になる。
しかし、これが過ぎると「シンプル」はシンプルでなくなる。
意思決定、選択の結果、知性の働きでその住まい手のコンセプト・文化資本を形にするはずであった設計の目論見が失われてしまうからだ。
とはいえ、水面上に表れたものがトータルにシンプルであれば、シンボリックでわかりやすいが、他者から見たシンボリックなシンプルさは、住まい手にとっては必ずしも満足を与えない。
色や形の統一、様式化は容易にコンセプト・文化を表現する可能性を持つが、かたちとして表現されなかった、生まれなかった住まい手の水面下の何かを、如何にシンプルに同調させるかは、ものづくりへの信頼関係を通じて、「愛」とか「神」といった見えないものへの共感を共有する以外に不可能なのかもしれない。