私の思考散歩・生活雑感 ぽつり草々 道歌 003

ロシア人女性の日本文学研究者が、日本人の心、日本文化を非常によく表しているものとして「道歌」についてお話しをされていた。日本に留学して、勉学の傍ら合気道を習っているとき、その教えを端的に表すものとして道歌に出合い、以来、研究テーマを「道歌」に変更してまで取り組まれたとのこと。


 和歌、短歌、俳句、川柳や自由詩というジャンルのあることは知っていたが、「道歌」という言い方を知らなかったので、大変興味深く聞いた。

道歌とは「道徳・訓戒の意を、わかりやすく詠んだ短歌。
 仏教や心学の精神を詠んだ教訓歌」(広辞苑)ということだが、実際には、仏の道、武道、茶道をはじめ、○○道と名のつくいろいろな世界における教訓や極意を詠んだ短歌の総称ということでよいかと思う。
後日、調べてみると、「なせばなる なさねばならぬ なにごとも 成らぬは人の なさぬなりけり」、「はけば散り はらへば、またもちり積もる 人の心も庭の落ち葉も」といった今までにも、ごく日常生活の中で親や先輩に聞かされたことのあるものをはじめ、「初鴉 きくも心の 持ちようで 果報とも啼く 阿呆とも啼く」、「咲く花の 色香にまして 恋しきは 人の心の 誠なりけり」、「世の中に わがものとては なかりけり 身をさへ土に 返すべければ」等々、ともすれば見失いがちな生活の指針、人生の有り様を再確認させてくれる歌が満ち溢れていた。

 

 ライブドァ事件、天下り問題、耐震偽造事件など、まさにこの「道歌」に戒められてきた日本人の心の在り方、生き方をもう少し確かに引き継いでおれば、ここまで呆れ返ることにならなかったのではないかと思う。

ロシア人の日本文学研究者が、古きよき日本を「道歌」を通して発見、その人間としての生き様のすばらしさ、精神を読み取って賞賛されているのに、当の日本人が、「道歌」に歌われているような道徳や振る舞い、心の持ち方などを説教くさいと斥けてしまうのはさびしい限りである。 たとえ、一道、一芸を探求する立場になくとも、先人の色々な「道歌」を噛みしめて、日常生活を「生活道」と捉えてみれば、なにか道歌のひとつも読んで人生を終えることが出来るかも知れないと思う。
 「後の世と 聞けば遠きに 似たれども 知らずや今日も その日なりとは」

「なるように なろうというは 捨て言葉 ただなすように なると思えよ」こんな道歌を口ずさむと、日々の己の生き様が寒い。
でも、そんなに一直線に求道的生き方が出来ないからこそ葛藤の中で先人も道歌を詠み,人の愚かさを戒めようとしたのかも知れない。
 「ぼちぼち頑張ります。」誰にともなく言いかけながら、日本人の精神文化の透明感は失たくないと思った。