私の思考散歩・生活雑感 ぽつり草々 001〜010

001. シンプル

価値観の表現の一つとして、シンプルという言葉を使うことがある。
シンプルデザインなどと言われるのはその例であるが、〔simple is best〕などと言うように、おおむね誰からも理解され、同意を得られやすい現代の価値観の指標でもある。
住宅設計のプロセスにおいても、住まい手との打ち合わせの中で、一度や二度は、「シンプルな方で選びましょう。」などと言いながら了解点を見出していることがある。
本当のところ、我々の見た目の姿や生活行為・ライフスタイルは氷山の一角であり、氷山の水面下の部分にあたる多大な心理的な堆積物、夢、願望、しみついた習性などはシンプルとは限らない。
何かがあるような気がするが、意識することも出来ない。
住宅設計は、その水面下の部分をシンプルという選択・概念イメージで少しでも水面上に形として浮上させ認識できるように頑張っている行為でもある。
決定の一瞬において、「シンプル」と言う概念は、答えを求めていた悩みの時から解き放たれた爽快な気分、意思決定による確かさ、安心感を与えてくれるが、同時に、水面下に残されているものの重さを感じさせる。
そんな時、水面下の声なき声、無意識化の心を最大限に生かすため「シンプル」にフレキシブルさを加えよう、持たせようと努力する。

住宅設計カウンセリングにおいては、まず、住まい手の生活をいろいろなアプローチからシンプルに切り取ってみる。シンプルに切り取った時、どこか悲鳴を上げる水面下の世界、部分があれば、それは、「いや」「嫌い」などの拒絶反応を起こす。
処方箋として、時間軸を取り込んだ空間の多重使い、光と影、自然の移ろいを同時に意識させることで「シンプル」にフレキシブルさを加えることが必要になる。
つまり多面的な受け止めの可能な表現、新しい機能性を見つけ出すことが必要になる。
しかし、これが過ぎると「シンプル」はシンプルでなくなる。

意思決定、選択の結果、知性の働きでその住まい手のコンセプト・文化資本を形にするはずであった設計の目論見が失われてしまうからだ。
とはいえ、水面上に表れたものがトータルにシンプルであれば、シンボリックでわかりやすいが、他者から見たシンボリックなシンプルさは、住まい手にとっては必ずしも満足を与えない。

色や形の統一、様式化は容易にコンセプト・文化を表現する可能性を持つが、かたちとして表現されなかった、生まれなかった住まい手の水面下の何かを、如何にシンプルに同調させるかは、ものづくりへの信頼関係を通じて、「愛」とか「神」といった見えないものへの共感を共有する以外に不可能なのかもしれない。

 

002. 道歌

ロシア人女性の日本文学研究者が、日本人の心、日本文化を非常によく表しているものとして「道歌」についてお話しをされていた。日本に留学して、勉学の傍ら合気道を習っているとき、その教えを端的に表すものとして道歌に出合い、以来、研究テーマを「道歌」に変更してまで取り組まれたとのこと。

和歌、短歌、俳句、川柳や自由詩というジャンルのあることは知っていたが、「道歌」という言い方を知らなかったので、大変興味深く聞いた。
道歌とは「道徳・訓戒の意を、わかりやすく詠んだ短歌。
仏教や心学の精神を詠んだ教訓歌」(広辞苑)ということだが、実際には、仏の道、武道、茶道をはじめ、○○道と名のつくいろいろな世界における教訓や極意を詠んだ短歌の総称ということでよいかと思う。
後日、調べてみると、「なせばなる なさねばならぬ なにごとも 成らぬは人の なさぬなりけり」、「はけば散り はらへば、またもちり積もる 人の心も庭の落ち葉も」といった今までにも、ごく日常生活の中で親や先輩に聞かされたことのあるものをはじめ、「初鴉 きくも心の 持ちようで 果報とも啼く 阿呆とも啼く」、「咲く花の 色香にまして 恋しきは 人の心の 誠なりけり」、「世の中に わがものとては なかりけり 身をさへ土に 返すべければ」等々、ともすれば見失いがちな生活の指針、人生の有り様を再確認させてくれる歌が満ち溢れていた。

ライブドァ事件、天下り問題、耐震偽造事件など、まさにこの「道歌」に戒められてきた日本人の心の在り方、生き方をもう少し確かに引き継いでおれば、ここまで呆れ返ることにならなかったのではないかと思う。
ロシア人の日本文学研究者が、古きよき日本を「道歌」を通して発見、その人間としての生き様のすばらしさ、精神を読み取って賞賛されているのに、当の日本人が、「道歌」に歌われているような道徳や振る舞い、心の持ち方などを説教くさいと斥けてしまうのはさびしい限りである。 たとえ、一道、一芸を探求する立場になくとも、先人の色々な「道歌」を噛みしめて、日常生活を「生活道」と捉えてみれば、なにか道歌のひとつも読んで人生を終えることが出来るかも知れないと思う。
「後の世と 聞けば遠きに 似たれども 知らずや今日も その日なりとは」
「なるように なろうというは 捨て言葉 ただなすように なると思えよ」こんな道歌を口ずさむと、日々の己の生き様が寒い。
でも、そんなに一直線に求道的生き方が出来ないからこそ葛藤の中で先人も道歌を詠み,人の愚かさを戒めようとしたのかも知れない。
「ぼちぼち頑張ります。」誰にともなく言いかけながら、日本人の精神文化の透明感は失たくないと思った。

 

003. 決めごと

三日前に、形にこだわって現場に指示したことが、夜、寝ていると突然「あれで良かったかと」気になりだす。
気持ちを集中して、出来上がりを想像してみるが、どうもしっくりしない。
いけない。近くの現場であれば、翌日すぐに現場に行くことも出来るが、今回は東京の現場であるためそうもいかない。
翌朝、現場監督に電話を入れる。もう一度、詳細に納まり寸法をチェックしながら打合せてみると、元の設計図通り、「自然な形、施工のしやすい案の方が良かった。」と、なぜかはっきりとしてくる。
「すまないが、この前の案は取りやめて、元の設計にしてくれる。」と頼む。
「私もその方が良いと思っていました。」いつも控えめな監督が答える。
「じゃぁ、それでお願いします。」と電話を切ったら、昨夜来のモヤモヤがすっきりした。
が、私の決め事が現場監督、職人さんたちを振り回してしまったことに、もっとビシット決めなくてはと反省の重い気分にもなる。

プランニングの始めから、住宅の完成まで「決めごと」がなくては全てが進まない。住い手の決め事を大切にしながらも建築家としての「決めごと」が決定的な結果につながることが多いので、プロとして、生活シーンの流れを見誤らない「決めごと」が出来る様にならなければならない。
いつも、選択条件はセオリー通りではなく、「神のみぞ知る」を繰り返しながら「決めごと術」を磨く。これが楽しめなくては住宅設計はやっていられない。

今朝もそう思い、気分に区切りをつけるのだが、本当にAかBかの選択、三者択一など、決断をしない限り事が運ばないことの繰り返しの中で、捨て去った選択は結果に残らない。例えば、実現した赤い壁の空間と実現しなかった青い壁の空間は、実現した赤い壁の空間から受ける感性の満足度からしか、その評価を受け取れないので、結果としては、どれだけの納得度、言葉を替えれば、まわりの共感度を察知して、その体感・体験を次の「決めごと」に経験値として生かすことになるのであろう。

人生においても、「あの時、あの選択をしていたら」と思い返せば色々な決めごと時がある。その意味では、建築設計という生業は、きめごとの訓練を日々行っているともいえる。
何事にも、結構決断が速いと自負しているが、早まった買い物で、思いがけぬ失敗を家人からたしなめられるのは未熟さの極みであろう。
「決めごと」には正答がない。暗黙にそのことを感知して、清水の舞台から飛び降りるスリルを楽しんでいるのかも知れない。

 

004. 日焼けの危険

近所の医院は皮膚科を廃止していたため皮膚科専門病院を紹介してもらう。
とにかく背中は水ぶくれ、相変わらずの痛み。
年老いた病院理事長の先生は、シャッを脱いだ私のからだを見るなり、「あなた、これは火傷ですよ。2度。体の1/2近くも火傷した状態です。」
「普通は入院して状態を見るケースです}「悠長なことを言っていると、まれに死亡しますよ」吐き気や、体温が下がる、上るなどの兆候は危険。
ほっておいて容態が急変し、救急病院に駆け込まれても、こうしたことに経験のある医師は少なく、結果手遅れで死亡すると言うのだ。

私よりはさらに老年の先生は、子供を諭すように、ここまでほっておいて病院を訪れた無知さ加減を叱る口調で、かつ、子供を諭すように話される。
とにかく写真を撮るという。
こうした火傷の場合、体温調節が出来なくなって、急に心臓に負担がかかり、心不全で死ぬケースがあるそうだ。その時、医師のほうから適切な指示がなかったとかで裁判で医師が負けることがある。そんな場合に備えて、初診の段階の状況を記録しておくと言う。
又、カルテに火傷の怖さを説明し、私にもカルテにそのように書かれたことを確認させた。「近頃は自分の対処を棚に上げて、医者が悪いと言う人が多すぎる。」
「私は自業自得と思いますから。」などと、普段の医者とあまり話さない会話の中でこの老先生の人柄を味わった。
待合室には自らの人生訓を書いた墨書が額に掲げられてもいたし、先生自らの花の油絵が数点飾ってあつたことも合点がいく次第。
「こんなことは1度体験するとまず2度とはしない。子供さんたちにも火傷の怖さを良く伝えてください。」と、教育的締めをされて診察は終了。看護婦さんにE軟膏というものをべったりと塗って貰う。
包帯は窮屈になるので、2,3枚シャツを捨てるつもりでシャツを包帯代わりにとのアドバイス。帰路、スポーツ、飲酒はだめとの指示もあり、自転車をゆっくりとこぎながら人生、最後までいろんなことを学ぶものだと、まさに体験のうれしさを感じていた。

 

005. 当事者の心情

ミャンマーのサイクロン被害、中国四川省の大地震、色々な災害や犯罪事件、事業成功者、色々な賞の喜びの受賞者、世界一の○○など、人間社会には様々な出来事が瞬時を待たず連続して起こり、それぞれに対峙する当事者といわれる人が存在する。

「その立場になって見なければ分からない。」と言われるが、喜び、悲しみ、怒りは勿論のこと憎悪、落胆、嫉妬、愛護などきりがないくらい多様な人間感情や想いが当事者にはあって、直接その場に居合わせたり、報道される映像を見ている側の他人にも当事者と同様の感情が少なからず沸き起こったり、立場の違いで、当事者とはまったく逆の感情を抱いたりする。人はいつ当事者になるのか。

「一寸先は闇」と言うのも冷静に思えばすぐに理解の出来ることだが、なかなか相手のその立場になれないのが凡人の常である。

自然による地震災害などは、あまりにも大勢の当事者が存在するため、立場の違いなどと言う以前に、何とか当事者の助けになりたいと祈ることや救援募金など、せめて間接的にも人間としての連帯を実感・実行したいと思う他人心情も盛り上がる。

自然の驚異が相手である場合などは、理屈ぬきに支援行動が行なわれる。しかし、親兄弟、親族、身内の命を奪われた当事者の心情は、自然に対して安全対策を怠った当局や、手抜き工事をした業者などに感情の矛先が向けられる。
その無念の心情の深さは、当事者以外の他人には決して分かり得るものではないだろう。
ごく日常の中でも、日々、人々は色々な出来事の当事者であり、部外者でありと変転、流転している。

自己存在意識は何時も当事者の心情を喚起するが、その時々の心のバロメータを大切に記憶すれば、いつか他者・部外者になった時、少しでも当事者の心情に近く反応できる自分を見つけることが出来るかも知れない。
されど、「住む世界が違う」と言うほどに立場の違う人々が、実際は存在することもあるので、当事者の心情は空転し行き場を失うこともある。

最後に「死者」と言う全ての人々が共通の当事者になった時、もはやその心情を語ることは出来ないのはなんとも皮肉なことのように思われる。

 

006. 効能感

頭痛を訴える人に「これは大変よく効く薬です」と言って極端な話、メリケン粉を渡してもそれを飲んだその人がよく効く薬と思い込んでいれば、効能が表れることがあることはよく知られている。

「良薬は口に苦し」と言うのも、これだけ苦いおもいをして飲む薬だからきっと良く効くと、自ら暗示を掛けるせいかも知れない。最近の研究では、人がそう思い込んだり、その気になれば、脳内から効能を発揮する物質が出され、痛みや色々な症状が緩和されるということがデータとして証明されてきた。
これを人間のもつ「効能感」というそうだ。

また時々、現代の西洋医学的診断では死亡もやむなしという状況から蘇る人がいるのも、人それぞれが範囲数値を超えた特殊性を持った生命力を備えているからだと思う。本当に人間の持つ潜在的能力はすばらしく奥深いと思うが、この事は同時に、従来の西洋医学による科学的、合理的病気診断と治療の限界を暗示している。
従来から日本においても健康維持・増進、また西洋医学で治癒することが難しい病気などに対して、鍼灸や漢方、温泉療法などが民間では行われてきたが、近年、日本より欧米においてこうした西洋医学を補完する意味合いで、東洋医学や代替医療の試みが急速に行われ説得性を持ち始めている。

英国を始め欧米ではすでに保険により西洋医学以外の治療を受けることが出来ると聞く。
病気になってしまう前に如何に健康を維持するか、健康増進を図るかという事に関しては、東洋医学やCAM(相補・代替医療)により未病の段階から自らの心身のバランスを整える、健康状態をチェックするという積極的な認識や生活習慣への気配りが大切である。

世界第2の長寿国日本、高齢者の「健康で長生き」という願いは切なるものがある。「病は気から」などは、誰もが自らの精神的窮状を切り抜けるとき呟いた記憶があると思うが、本当に人間の免疫力を始め「効能感」など、生命維持・回復力の心身一体の凄さに改めて感心している。

鍼灸,漢方、サプリメント、アロマセラピー、ヨガ、アユルヴェーダなど、昨今、美容と健康をうたい文句に巷でも色々な健康関連ショップが展開されているが、各人が、生活全体の流れの中で、「私の心とからだ」の在り様、バランスを視点として良く意識して上手に利用することが大切であろう。
人間の潜在的能力の知られざる部分が、人類の英知によって明らかになって行くという、限りない循環は恐ろしいほどに魅力的といえる。
「効能感」を操れる仙人を夢に眠りに就こう。

 

007. 京都の夏

温暖化という以前から、京都の夏の暑さは夙に知られ、有名でもある。
それでも、京町家では、座敷を挟む2つの庭(前庭、中庭、主庭、坪庭など)の温度差から生まれる気流を、紗、羅という薄地の暖簾で捉えて、かすかな「風」を視覚化したり、風鈴で聴覚でとらえたりして、感じ取る涼のとり方、打ち水、簾、藤の床敷き、夏季用の建具などのしつらい、生活の仕方や道具、料理まで、色々と智恵をいかして感性豊かに暑さをしのいできた。

自然と共生・協調しながらの生活の智恵が京都の夏を過ごすには必須であった。
京都は古風で且つ斬新な都市であるが、それは日々の生活を生き抜く智恵を大切にする気風が大きく影響していると思う。
しかし、バブル期の地上げ、不動産の買いあさりによって、街並みは歯抜けのようになり、近隣同士、風通しも配慮されていた家屋の配置も壊れ、多くの家は、空調機を備え、窓を締め切り、高気密、高断熱、諸設備を設置、技術で押し切って文明生活をしている。
午後の2時頃、一歩、大通りから入った京都の街は、アスファルトの路面が銀色に太陽光を跳ね返し、人影もない。

多くの人々の生活に根ざした智恵が、京都の生活を支え、文化を育んできたが、「京都の夏」酷暑を生き抜くすべ、生き生きとした生活風情は、もはや、鴨川に掛かる床席や、保存される料亭、町屋などにおいて観光資源となって残るのみなのだろうか。

京都市民が、文明を享受してはならないというのではない。文明・文化の発信者、創造者として、日本文化の歴史の一端を担ってきた京都人として気概を持つ時、今一度、市民一人一人が、酷暑を感性で受け止め、生活の智恵を鍛えることが大切ではないかと思う。

同時に、市民共通の認識として「京都の夏」と言う自然と生活の関係を見直すことから、生活のあり様に新しい気付きや発見をし、現代文明も取り入れながら、それぞれの住まいとその連担としてのまちなみのあり様への解答を文化発信力として育むことが出来るのではないだろうか。
そのためには、隣近所や町内、学区というコミュニテイの中で、誰もが感知する「京都の夏」酷暑の克服と言う課題は、取り組むのにとても良い切り口のように思える。
俗に、苦境や苦難を乗り越えてこそ、色々な智慧や解決策が生まれるというが、「京都の夏」を乗り越える調和のある、自然との対峙の仕方をさぐってみてはどうだろうか。

エコ時代ともいわれる今、文明の利器に頼り切ることなく、もう一度原点に返って、「京都の夏」を味わい尽くしてみよう。それにしても暑い。

 

008. 京都の地蔵盆

8月23,24日、京都では「地蔵盆」が大抵の町内で行なわれる。
最近は世話をする人の都合もあり、側近の土日に開催されるところも多くなった。
私の子供の頃に住んだ祇園祭鉾町では、町会所があり、祇園祭の関連収蔵物と同じ倉に地蔵盆の祭事道具も収蔵されていた。
朝から、町会所の表格子をはずし、表の間を掃除、倉から祭事道具を運ぶ。
長老の指示のもと、子供たちが世話当番の大人に手伝ってもらいながら、わいわいにぎやかに楽しく「地蔵盆」の準備をしたものだ。
今は子供も少なく、大抵の町内では大人が準備をしている。
各戸にちょうちんを配ることやお供えを集めにまわるのも、10時と3時にお下がりを届けるのも、数珠回しや福引といった行事の開始を知らせるために「カラン、カラン」とリンをならして合図するのも全て子供の役割で、子供のためのイベントを子供が仕切っているという趣があった。

物事の段取りを覚えるという訓練、それぞれの役割の責任、義務、社会人の真似事が自然に行なわれていた。また、町会所でのゲームや色々な遊びを通して、年上の子と幼少児の交わり、ふれあいがいっぱいあり、子供たちの夏休み最後の楽しい行事、それが地蔵盆の思い出である。
福引の景品なども、前もって長老に連れられ、おもちゃや駄菓子を扱っているお店を訪ね、あれこれ希望を言ってそろえてもらう。自分の希望した品が福引で自分に当たるかどうか。どきどき、楽しみなことであった。
今は、どちらかといえば、各家庭に均等に日用雑貨品が配られ、子供たちには図書券やお菓子が渡されるという、世話当番の大人の都合によって簡略化されてしまっている。

地蔵尊に手を合わせ祈願するという宗教心、発心の大切さもさりながら、私は「地蔵盆」の行事を子供が取り仕切る行動の流れの中にこそ多くの大切なことがあったと思う。
少子化、地域コミニテイの希薄化などで、「地蔵盆」というじつに貴重な生活教育のシーンが形骸化していくのはさびしい。

それでも、地蔵盆の頃の京都の街中には、いたるところに地蔵尊が祭られ、各町内に子供達のための修験の花が咲き、日頃には見られない趣が漂う。
足洗いと言って、片づけが終わった夜、一席を設けて、みんなで食事を楽しむのも町内コミュニテイを確認するささやかなひと時であろう。
「昔はよかった」と言ってみたところで仕方がないが、世代を超えて交わる地域・町内行事が身近にあって、生活の中で自然に色々な学びの場があった。地蔵盆はいつもそのことを懐かしく思い出させる一つである。

 

009. 久田の火祭り

8月24日の夜、知人の別荘・ログハウスに泊まり、京都市左京区久田・広河原の火祭りを見物した。鞍馬の火祭りは有名だが、長年、京都に住んでいても久田・広河原の火祭りは初めて見た。
山間のそれほど広くない丘陵地に1.5メートルぐらいの丈の松明が数百本、谷あい沿いに次々に燈され、野火のごとく広がり、せまり来る漆黒の山並みを背景に、ちらちらと揺らめきながら照り輝がやかし、あたりをこの世から浮遊させ不思議な舞台に変えていく。
カン、カンと鉦が規則正しく打ち鳴らされ、見物人の心が整列させられるような重なりの時を経て、次第に松明の明かりが赤黒く火勢を落とす頃、祭事広場中央あたりに高々と建てられた大松明に向って、掛け声とともに大勢の村人が火玉の固まりをくるくるとまわし、勢いよく夜空に聳える大松明の頂に向けて投げはじめます。
運動会の玉入れの籠のような頂は20メートル近くの高さはあるだろうか。なかなか命中とはいかない。松明の途中に引っ掛かって、予期せぬところが燃え上がり始めている。
次から次と掛け声、鉦、太鼓の音とともに投げ上げられる火の玉。
いつの間にか、観客から群衆と化した人々は、すんでのところで命中しそうな一投に落胆の悲鳴。
やがて、やっと待ち望んだ命中の火の玉。大きな拍手と歓声。はじめの一つが決まりだすと、次々に命中弾。大松明は赤々と燃えて、あたりに立ち上る白煙を照らす。
人々の願いごとが、炎と白煙と一体となって旅立つかのように漆黒の天空に吸い込まれていく。数分もしないうちに、燃え盛る大松明はどっと90度水平に雪崩落ちて、火の粉と火焔が巻き上がる。火祭りの終焉。
じつに粛々と行なわれるこの火祭りは、鞍馬の火祭のような勇ましさ、荒々しさはないが、広河原の村人の純朴な祈りの気風を、時を越えて伝えているのではないかと思い、好感を覚えるのです。
祭事が終わると、感嘆のざわめきと共に結構、観光バスで繰り込んだ観客がいることが分かった。この火祭りもいずれメジャーな観光資源になるのかなと予感が走る。
昔ながらの山村の祈りの空間でこそ、祖先の畏敬の心のあり様を伝えることができるのに。それにしても、こんな火祭りが、都会で身近な風情として味わえるのも、「京都ならではないだろうか。」とうなずく一夜でした。

 

010. 素人の大家

「職人の立場から見た町屋の住み方と監理について」という話を左官職佐藤嘉一郎さんから伺ったが、何より記憶に残ったのが、「素人の大家」という言葉である。
京都では戦前20%が持ち家、80%は借家であった。
その時代、大家さんたる本家、さらに一族の分家、別家、そして借家と係累の所有する家屋が多数あるため、お抱えの職人集団がきちんと張り付いていて、職人自体が、自分たちの仕事を生み出すためというか、積極的に建物を巡回、目配りをし、メンテナンス事項を大家に注進しベストタイミングで家の修繕・補修を行ってきたという。

戦後というか、昭和40年代以降の高度経済成長期から、持ち家政策が進行する中で、現代の京都では、持ち家80%、借家20%と比率が逆転。ほとんどの家は、建てっぱなしというか、家の手入れについて知識を持ち合わせない佐藤さん曰くの「素人の大家」の持ち物になってしまった。

住まいも生き物、大切に手入れをしてこそ長持ちもするが、ほとんど手入れすることに気づかずに多くの「素人の大家」が急増したため、その間、貴重なメンテナンス技術を継承する職人も生きていけない時代になった。
建物の工法、材料、仕様も変化したため過去と同じようには扱えないことも勿論あるが、家が使い捨て耐久消費財になってしまったといえる。
しかし、昨今、環境問題の切迫から、スクラップ&ビルドを慎もうという動きがあり、メンテナンスも重要な課題になっている。
サスティナブル・デザインなどという概念が不動産業界にまで云々されるご時世である。
しかし皮肉なことに、素人の大家さんの持ち家が、耐久消費財として早すぎる寿命を迎え始めたため、リフォームと称して日本の戦後の急激な変化の矛盾の産物を繕おうとしている。

政治における構造改革のように。今こそ、素人大家から「賢い大家」に目覚めなければならない時が来ている。納得のいく住まいに安心して住み続けられる様、業者任せのリフォームではなく、住まい手が自ら住宅建築の基本的仕組みや生活の在り様を学ぶことも必要である。そのため、建築家をはじめとする適切なパートナーにそのノウハウを学び、コラボレーションのための報酬や自らのこだわりや住まいに対する希望をまとめてもらう設計料を払ってでも、住まいと生活のかかわりを大切にする価値観を持ちたい。

「素人の大家」からの脱皮は、住まいのあり様を見直すことであり、自らのライフスタイル、生き方を見直す有意義なきっかけ、チャンスでもある。しかもそのことが、日本人のこれからの姿を変えることに繋がっているともいえる。

 

廣瀬 滋著