私の思考散歩・生活雑感 ぽつり草々 051〜060

051. 別荘生活雑感(その4)

別荘の地下室は33年の間に、雑然と物置場となっているが、雪国、山間・自然生活になじむために、苦楽を体験・体感してきたここでの歴史が、展示されているようなところで、私にとっては、結構心安らぐ空間である。

積雪、凍害などによる家屋のメンテナンスをはじめ、不在中に色々な生活不具合が発生するので、長年の間にその修理や改装のために色々な工具や装置が自然に増え、地下室は取り替えた部品の残骸も含めて、Do It Yourselfeの達人の隠れ家のようになっている。

多分都会生活ではめったに使うこともない道具、斧、鋤、鍬、落ち葉掃除のための熊手、草刈り機、鎌、4メートルのスライドハシゴ、電動工具一式、ドラム缶の栓・開閉バー、コードリール、左官用塗り鏝と舟及び煉り鍬、スコップ2種、つるはし、雪かき用ダンプ、スキーのメンテナンス道具一式。 子供が小学生の頃に良く遊んだ、卓球台、ダーツ、ゲートボール、バドミントンセット、虫取り網、カゴ、今は使わなくなった家族や友達の20台を超える旧型のスキー板、大小の主も分からなくなったスキー靴、ソリ3台がズラリと並ぶ様も不思議な圧巻といえる。

煙突にすすが詰まって「ドぉーン」という爆発音とともに食堂が煤にまみれて、煙突掃除の大切さを思い知った使用済のポットストーブも、わが一家の動向を今も見つめている。
ハンモックや庭の胡桃の木で作った小さなベンチセット、折りたたみ椅子、不要になった旧型の冷蔵庫2台、一度入れ替えた流し台セット、不要な暖房器具、その他、灯油備蓄のドラム缶や給湯ボイラー等、目に付くだけでもなかなかのものになっている。
明らかに捨ててしまえばいいものも短期滞在では大型ゴミ処理をする日取りなどがうまく手配できなくて、どんどんストックされていく。

じっと眺めていると、なれない作業で不覚にもケガした思い出も多いが、大抵は色々な作業の結果、使い勝手が良くなったり、修復がかなった満足感が楽しく思い出される道具たちでいっぱいである。 別荘における地下室は生活のバックヤードというか、生活支援のための必要空間であり、日常住宅ではあまり意識させられることのない主たる居住空間に対する従空間の大切さを体感させるものだ。

自給自足生活をするとしたら、もっと沢山の道具を使いこなさなければならないだろう。
自分で便利さを獲得する。自分で生活をフォローする。そのことの大変さを楽しく学習させてくれるのが別荘生活のありがたさかもしれないと思う。

 

052. 別荘生活(その5)年末年始

10年ほど前までは、年末年始は雪の信州、別荘で過ごすのが通例だったのだが、夫婦だけではとても冬場の雪かきをはじめ、買い物なども出来ないので、何時の頃からか次男夫妻と共に出かけることになったのだが、初めての孫が12月31日生まれということで、0歳、1歳の冬は無理。
さあ今年は楽しく孫とスキーと思いきや、二人目がまたまた新年2日が予定日。
3年連続正月を京都で過ごすことになった。

新春の京都に観光で来られる方も多いのに、私は30代初めから30年近く、ほとんど正月を雪の中で迎えることにしてきたので、最近の祇園さんへの初参りなどは、昔に比べ晴れ着姿が少ないことや、元旦から色々なお店がオープンしていてあまり神聖さがなく、ただの縁日のようで、雑踏に嫌気がする。

真っ白な雪の輝き、眩い光りが食堂に溢れ、たとえ山荘とはいえ、年末から手抜きはしないという女房の手作りおせち料理が、はなやかに並んだテーブルを囲んで、家族が新年の屠蘇で乾杯、挨拶をかわす自分達なりの新年スタートは、あたり一面銀世界の中でとてもうれしいものである。
降り積もった雪をかぶり立ち並ぶ木々の合間から、窓越に見えるゲレンデでは早くも初すべりを楽しむ人たちも見える。
いつも10時頃には初すべりにゲレンデに向う。年とともに1本目は緊張する。この歳で骨折でもすれば、もの笑いとつまらぬ意識がミエを張るからだろうか。
一気に滑り降りて「今年もまだまだ大丈夫。」晴天を仰ぐ時、本当に一年の区切りを実感する、刻々と変わる夕方の山の雪景色、本当にリフレッシュできる年末年始を今年は迎えられないので、残念。
先日、「もっと考えて、いい時期に産めよ」なんて次男夫婦に笑いながら言ってみたが、彼らも充分に雪山のすばらしさ、楽しさを知っているので、嫁は「ほんとやね」と笑っていた。再来年こそは!

 

053. 別荘生活(その6)

年末から新年にかけて8日間、6年ぶりに正月を山荘で過ごした。孫と雪遊びをしようと思ったのが一番の理由である。天気予報では天候は荒れ模様の予定で心配したが、山陰地方の雪害をよそに、長野県の北にある山荘ではちらちらと雪は降るものの、時に太陽が顔を出すという日や、元旦は快晴。2日は曇天であったが3日は期待以上の快晴。夜寝ている間に雪が降り、朝に新雪に囲まれた綿帽子の木立に「おはよう。」と声をかける。   窓から見える山荘の周りにはウサギや狸の徘徊の足跡が転々と記されている。「訪ねてくれたのかい」と早起きの孫と姿なき動物たちの噂話をする。
瞬く間に山々に朝日が照り返し、刻々と変化する自然の目覚めの時を、あたり一体の自然の生き物たちと共感しているという想いは、とてもうれしい気持ちである。朝食の前に外に出て道路から入り口まで30Mくらい新雪を踏み固めて通路を確保する作業は結構天職を与えられたように心楽しいものだ。
屋根からなだれのごとく落下して積もった雪の傾斜を利用したり、隣地との境界の傾斜を利用して孫がソリ遊びが出来るようにとコース整備を始めると、なかなかの重労働。孫が喜ぶと言う確信が、頑張りを授けてくれる。
食堂の窓を開けて、「お爺ちゃん、ご飯の用意が出来たよー。」と孫の声。なんと汗がびっしょり。朝食前に下着を取り替える毎日。お雑煮やおせち料理を食べても、これでは太ることはあるまい。窓からゲレンデを見るとリフトがゆっくりと山頂へと隊列運動。年末は6年ぶりのスキーでちょっと緊張したが、からだで覚えたことは案外忘れていないものと言うのは本当で、思いのほかスイスイと滑降することが出来た。
帽子にゴーグルをしているとお面をかぶったようなもので、年齢など不詳のいでたちである。2日目だったか、サングラスだけでリフト券売り場に行ったら「ちょっとお尋ねしますが、もう60歳を過ぎていらっしゃいますか?」と訪ねられた。「ええ、勿論」と答えると、60歳以上にはマスター券と言う割引制度があるというのだ。自動車運転免許を持たない私には何を持って証明するか。一瞬、折角の制度もパァかとおもった。ところがサイフの中に、まぁ、未だ役立ったことのないインテリアプランナーという資格の証明カードが入っていた事を思い出した。見ると、ちゃんと生年月日が記され写真まである。
係りの女性は「これで充分です」といって1日券¥4000-が¥3000になる扱いにしてくれた。年寄りはそんなにがんがん滑らないと言うことでもあろうか。これなら1日目ももっと年寄り風貌を見せればよかったのか、いや、幾つになってもファッションはこだわらなきゃと言う気分、年甲斐もなく2つの損得に一瞬複雑な苦笑い。
もう、40年近く、同じスキー場にお世話になると言うのだが、リフトに乗って山頂を目指すと、色々な時の思い出が蘇る。実に色々なことがあったと思うが、回りの稜線、雪山の清々しさは全てを透明に、多くの人達との出会いを感謝へと溶かしてしまう。私にとって山荘は気分転換のみならず、ある種の定点観測地のような場所だったかもしれない。

 

054. 本当に[もの]は思いよう。節電のこと

一気に真夏日のこの頃である。

いたるところで節電のニュースを見聞するとたいていの鈍感な人も、身近なところから何とか省エネ活動に参加しようと思うだろう。特にクーラの設定温度調整などは知らない間に叩き込まれたこのところの金科玉条である。

私の事務所はコンクリート打ち放しの建物で、東西は隣接しているため比較的ひんやりしているのだが、連続の真夏日となると、あたりの空気そのものが暑いのでやっぱり例年クーラは欠かせないのだが、今年は今のところクーラは一切使わず小型の除湿機のみ稼動させている。
午後ともなると何となく汗ばむことになるが、思い浮かぶのは過酷な被災地の人々の姿である。[もっと辛い人がいる]と思うだけでクーラには目もくれない、我慢なんて気持ちもわかない。なかなかの心掛けと自らをほめている。

日本の、この20数年来の総合的にエネルギーをふんだんに使いまくっての生活はなんだったんだろう。
工場も、オフィスも、一般家庭も心掛けで15%くらいの節電がそれほど生活に不便さを感じたり、質を落とさなくても可能というのなら、本当に今回の大震災は貴重な転機である。ものごとを「プラス思考で幸せに」等とよく言うが、本当に「もの」は思いようで、現実に暑さでも寒さでも、時にはひもじさすら乗り越えていくのが人間らしい。

人間にとって[飢え]は最悪条件であるが、そんな時、体の中に命を永らえさせる遺伝子が働くとも言う。だから腹八分目、規則正しい生活は長生きの基ということも分かってきた。 集中力の途切れた間に間にこんなことを考えながら今年も前庭、一気に咲き出したムクゲの花に相槌を求めている。

 

055. 新しい年の始まり 2012

時はいつもと変わりなく流れているのに、大晦日、新年・元旦を迎えるという習いの中で殊更に歳月の流れを意識する瞬間はいろいろな想いや感慨がこの身に凝縮されて光と影、半身がもはや化石にならんとする感触を思う年の瀬。

日が昇り元旦の朝、長男夫婦、次男家族が9時半には我が家に集合、8人家族の祝いの膳を囲む。毎年暮れから女房が作るおせち料理。来年からは嫁たちに作ってと言いながら今年も私だけに「くたびれた。人の作ったものを一度食べたい。」と愚痴をこぼしながらもどこか一仕事した満足感いっぱいの女房殿。

二人の小さな孫が好き嫌いをいいながらにぎやかにおせちの品定めをする。いつの頃からか略式にしてしまった屠蘇代わりの日本酒で、乾杯。今年の健康、平安を願う。
いく歳月、お雑煮のお餅もだんだん食べる数が減って、子供の頃はたくさん食べたなぁと感傷的思い出の時。孫の、「僕は酉年、鳥の食べ方、次はお猿さん」などといっていろいろな食べ方しぐさに、現実の正月。

長男が次男と孫と一緒にお年玉の福袋を買いに出かける。
おもちゃいっぱいの福袋。大人が見ても難解な組み立て玩具や乾電池がないと動かないものなど、子供には素直に感激をくれない代物の山に、私はなぜか今の世相のしらけた様を見る思いがする。

届いた年賀状を見る。人生のいろいろな場面で出会った人たちからの便り。
本当に数十年会っていない旧知からの賀状は、やはり年はじめの区切り感そのものである。

午後には近くの公園に出かけ、4歳になる孫は初めての自転車乗り、大晦日に6歳になったばかりの孫は私の大人用自転車に挑戦。少し手こずったが二人とも見事成功。
両親、爺ちゃん、ばあちゃんの見守る中で晴ればれニコニコ顔。
3時頃には皆でテイータイム。
晴天の元日。今年も私の時が始まる。今年も出来ることを精一杯誠実にやろう。

 

056. 今年の夏は扇風機

東日本大震災以後、関西に住む我が家でも節電意識は高まった。
長らくクーラに慣れきっていた夏の生活だったが、一昨年当たりから孫の昼寝などにも古い扇風機を引っ張り出して、なんとなくからだに優しい涼をとるなど、節電というより、昔の生活スタイルでもそれなりに暑さは凌げるものだと何となく納得しはじめていた。

古い扇風機は、昨秋、仕舞い際に分解掃除をしようとして結局壊してしまったので、本格的に節電を考えると、今時の扇風機を品定めしなければならなくなった。
家電店に出かけると、従来からの羽根の回る扇風機、タワー上の送風機タイプ、まったく羽根のない新しいコンセプトの扇風機?がずらりと並んでいる。
価格も¥2.000-くらいから¥55.000-くらいまで何処がどう違うのやら、店員さんに色々と説明を聞く。
タワー状形体のものも、色々スイッチなどためしながら調べてみたが、何となくぐらぐらと不安定で、送風範囲も我が家のリビングの設置状況を考えると対応性に不満が残るので早々に選択外とした。
外国製品である羽のない扇風機はデザインからして今までにないもので、ちょっと買う気にさせられるのだが、対応年数が3年位とのこと。しかも価格は¥35.000から¥55.000。すぐ横で¥2.000くらいの扇風機が回っているのを見ると女房と二人して考え込む。
それに、このモダンデザインは我が家にはちょっとしらけるのではないか。
その時、ベストタイミングのように定員さんが、今年の新機種、七枚羽根で静かで穏やかな扇風機を薦めてくれた。テレビでも紹介されたとかで、人気商品、今すぐ現物はないのだが調べてみましょうかとのこと。
価格は¥25,000、扇風機としては高いが、洗濯機のモータを使用、直接ファンが回っているので音も静かなんですよという説明に購入を決める。
何と早くて6月末の入荷とのこと。
急に暑くなったら困るなと思ったが、今年は扇風機商戦は早々と今がピークとか。きっと全国で節電生活のアイテムとして扇風機が復権を遂げようとしているのだろう。
新しい扇風機の風を楽しみに、これからの日本の生活のあり様を考えながらビールでも飲もう。
今年、2011年の「夏」

 

057. 原発問題の行方

イタリアでの原発設置反対は国民投票の94%からの圧倒的多数でイタリアは今後、原発を持たないという決議をした。
このニュースは人類と「核」の問題に基本的には爽やかな正解を示す象徴的なことであると思う。しかし、一方で人類の生産活動のためのエネルギー問題との関係で、インドや中国をはじめとする急進国や自然環境を始め色々な国情を抱える国々では、直ちに原発廃止、廃棄という答えの出せないのが現実であろう。

恐ろしい結果を残した広島、長崎の原爆の壊滅力の悪夢を、人間のあくなき探究心はそのエネルギーの強大さを、「核」の平和利用なるテーマに置き換えて、何と多くの原子力発電所が世界の人々の身近なところに設置されていたのか。今回の福島原発事故で知って驚いた人は多いことと思う。
CO2を排出しないと言う一点の長所を環境問題との関係における御旗に、日本では原発の採用は更に地域振興、活性化という社会問題解決策とする手段に利用された面が大きい。

広島、長崎で被爆、被害国家であった日本が、今回の福島原発事故で思いもかけず世界への加害国の立場になったことは重く受け止めなくてはならない。
科学技術力で先進性を顕示してきた日本ではあるが、戦争はしません、軍隊は持ちません、平和国家として世界に顔向けしてきた日本が、「核」だけは被爆国民の信念、哲学として、たとえエネルギー問題があったとしても、原子力発電などはより未来、長期的な視点に立って、放射能被害などコントロールできない問題がある以上、思い止まるスタンスを政治、実業界、国民全てが忘れてはならなかったのだ。

これから、代替、自然エネルギー開発に更に重点をおき、社会・経済にも混乱の起こらない世界の人々に役立つシステムや技術の開発を急がなければならない。スマートメータ、コンセントの設置をはじめ国民一人一人が生活の中で取り入れられル省エネシステム、節約の知恵などがすばやく情報公開されることを期待したい。

東日本地震災害による何よりの問題は、原子炉の崩壊による放射能汚染の拡がりで、住み慣れた故郷に戻れない、生活できない、人間・地域社会の破壊を引き起こしたことである。復興の遅れも原発に関わる原因が大きく、放射能除染作業なども、あっという間に4兆円以上を費やすという。原発がほんとうに経済的なクリーンなエネルギーであるのか、廃炉の作業や経費を考えると一般消費者には知らされていない問題が、まだまだ隠されているのではないか。
日本の優秀な科学技術者に原子力利用以外の胸を張っていられる研究分野で活躍してほしいと思う。

 

058. 多数派工作、民主主義の欠点

いかにも多数決で物事を決めるのは民主主義のルールの原点である。
政治家は何をどうしたいのかさっぱり理解できないが、この日本の非常事態に野党は管内閣不信任案を提出して、それも与党のおよそ政治家としての節操もない一派を巻き込んで多数決で何とか自分たちの立場を主張しようとしている。
1票の重さは変わらないという原則に立たないと民主主義は前に進まないかもしれないが、1票の質、こめられた思索の深さや重さはどう評価すればよいのか疑問が残る。
分かりやすく言えば、烏合の衆の1票と、いつも国民のこと、日本の将来など深く考えているものの1票の違いの差である。
イスラム教国家のように、宗教と政治があまりに一体化している国にも問題はあるだろうが、震災や原発問題を抱えた今の日本の緊急事態などでは、多数決よりも飛びぬけた識者・聖人の一声、判断のほうがうれしく待たれる。
そんな風に思うほど、今の日本の政治家のバカさかげんにはあきれる。
自民党などは特に、自らが行ってきた政治のツケが膿となって出ていることをどう受け止めているのか。野党になったとたん恥ずかしげもなく国民のために最善を尽くすことなく、いじけて、政局での主導権争いに明け暮れている。
今や、民主主義のあり方さえ問われる時代に、本当にどうなっているのか。
日本の国民は、今こそ政治家の過去の政治経歴をしっかりと洗い出し、いかがわしいものや、能力のないものを政党を問わず一掃するべきではないだろうか。
そのために、マスコミやあらゆるメデイアは全力投球してもらいたい。

 

059. かくされた真実、もう一つの真実

実はこうでした。本当のところは。
身近な人間関係においてもなかなか本当の気持ちは分からないことがあるが、ちょっとしたすれ違いから行き着く結果は大変違ったものになってしまうという経験は誰にもある。
又、世間の出来事も今度の原発の事故の経緯も、再審無罪になる判決も、本当はどうなんだろうと突き詰めるところに真実はなお、かくれんぼをしてしまう。

自然の驚異や生物の不思議な営みを知ることは、この上なく魅力的なので、人はその解明に向かって突き進む。しかし、何処までもかくされた真実があるようで、死後の世界さえ本当にあるのかないのか。心と脳の関係はどうなっているのか等こんなことに思いをめぐらせると、なかなか寝付けるものではない。

夫婦、親子、精一杯、絆を育んで生きているのだが、新聞の人生相談欄など読むと相談ごとはかくされた真実を何とか知りたいという想いがあふれている。

凡人には、人のことどころか自分自身の真実さえつかみかねないのだから致し方ないのだけれど、本当に何が起こって、如何なる因果関係で如何なる結果になったのか。
相手の立場を思いやったばかりに、想像もしなかった結末を迎えるということも、科学的に分析しすぎて本当のところを見落とした医療現場など、果てしない不思議な真実に身をゆだねて人は生きているというのだろうか。

静かな女房の寝息の向こうにも、もう一つの真実があるのだろうか。
深夜のラジオ便を聞きながら実に深い浮遊感を遊んでいるもう一つの真実の自分がいる。

 

060. 1日3杯以上コーヒを飲めば花粉症がスッキリ

1日3杯以上コーヒを飲めば花粉症がスッキリ治るなんてことがあれば、天にも昇るあり方情報なんだが、そんなことはありえないね。
大学を出て東京に就職。翌年から、わけの分からぬ風邪症状に悩まされ、とても痛い鼻の造影検査など、あれこれ検査をされた挙句、スギ花粉アレルギーかもとの診断。
様子を見ましょうと言われ、桜花見の頃を過ぎた頃から嘘の様に症状がなくなり、やっぱりアレルギーと分かってから今や40年余りが経つ。

関西に戻っても「花粉症」という病名はもはや一般的で、多くの人が悩まされていることが明白な事実。アレルギー症状では名医と、シーズンには患者が列を成す医院を見つけて抗体検査などもしてもらって、スギ花粉以外にもヒノキ花粉に反応していることを知ったのも20数年前のこと。
以来、その先生に毎年2月頃から注射を打ってもらうと1ケ月に1度くらいの注射でそのシーズンはほぼ快適に過ごせて、他人にはそんな注射は副作用があるかも、などといわれたが、なにしろ毎日、薬を飲む手間もなく快適なので、ずっと御厄介になっていたが、数年前、その名医が亡くなられたために又、抗アレルギー剤を処方される病院や医院をウロウロする羽目になった。

尤も、花粉の飛散量が少ない年は軽症で収まるのだが、それにしても心地よい季節のはずの春先がなんともうっとおしいのはやりきれない。
花粉飛散情報など、初めてアレルギー症と診断された時はまだなかっった時代である。
昭和から平成、これだけ世の中色々な技術革新があったのに、花粉アレルギーの対症策が進展しないのはまことに合点が行かぬのだが、世間の方はどうなんだろう。
1日、3杯以上コーヒを飲めば花粉症がスッキリなどというデマでも流したくなる、いやデマにもすがりたい今日この頃である。

 

廣瀬 滋著